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山あげ祭「将門」

山あげ祭で「将門」を含め常磐津所作狂言が今日まで多く上演されている理由はなぜなのでしょうか。

Youtubeの佐一さんの投稿の山あげ祭の将門の画質が良かったので、ご紹介します。

管理人の師匠である常磐津津太夫先生は、水戸における常磐津の太夫の活躍がその一つであると指摘されています。

江戸で事情があって水戸へ下向した常磐津の太夫が稽古場を開きそこから茨城県内各地に常磐津の流行が伝播して伝わったというものです。

常陸大宮壽賀家、久慈浜山水荘、笠間太田家、馬頭三浦屋など近在の踊り一座で常磐津が習得された結果、烏山にも伝播して来たのだろうと管理人は推察しております。

水戸の太夫について調査したく水戸市に連絡をしましたが、わからないとの回答を得たため、それきりになっているのが現状です。

管理人も課題が山積みですが、少しずつ調査して公開してまいります。

 

夜の山あげ祭「将門」

那須烏山の真夏を彩る山あげ祭の「将門」滝夜叉姫登場シーンです。

大森茂宏氏の「先祖が残した烏山のお天王さん」(絶版)の記録を見ると大正12年鍛冶町当番の年に仲町が付祭で「将門」を上演したのが初演となっています。

「将門」は本名題を「忍夜恋曲者」、別名題を「忍夜考事寄」といい天保7年に江戸市村座で初演された常磐津所作狂言です。

それ以来、烏山の山あげ祭では「将門」が今日に至るまで上演され続けています。

「嵯峨や御室の花盛り浮気な蝶も色かせぐ」のクドキの部分の情景が山あげ祭の山とうまく調和しているからでしょうか。

池袋の古本屋で常磐津松尾太夫の「将門」を入手しましたので、下記から再生できるようにします。山あげ祭の「将門」とは節が違いますが、お楽しみください。