山あげ祭「戻橋」

「戻橋」は本名題を「戻橋恋の角文字」といい、「新古演劇十種」の一つです。

市川團十郎家の「歌舞伎十八番」「新歌舞伎十八番」に対抗して五代目尾上菊五郎が制定した尾上菊五郎家の家の芸です。(「歌舞伎用語案内」より)

管理人は「戻橋」のクドキの部分が大好きです。

御情け深き御心に 今宵見えし妾さへ 縁を結ぶ露もがな 思ふ恋路の初蛍 言出て兼て胸焦がし 若葉の闇に迷ふもの 都女臈は取り分けて 姿優しき花菖蒲 引きつ引かれつ澤水に 袖も濡れにし事ならん

どうしても「戻橋」が聴きたくて、神田神保町の富士レコードへ行ったところ、常磐津松尾太夫の音源を入手することができましたので、下記にアップロードします。

山あげ祭で口演される「戻橋」とは節が違いますが、お楽しみください。

 

伝統としきたりが受け継がれている宮座組織

山あげ祭は「宮座」という組織が母体となっています。

宮座の中には宮司を中心とする神社側の運営組織と、若衆座を要する町の組織があります。宮座の歴史は古く、何百年と続いており、その点が山あげ祭が国の重要無形民俗文化財に指定された要因となっています。

神社組織は基本的に

宮司—責任役員—八雲講世話人

町内組織は

中老—和歌集世話人—木頭(行事)—主任—若衆—(子供座)

といますが、各町によって組織構成は若干異なります。

例えば、木頭の次は副木頭ですが、金井町では木頭の次は行事となっています。

また、文化財の指定団体として「山あげ保存会」があり、山あげ祭の保存継承をしていくために活動しています。

この「山あげ保存会」には、管理人の所属する「芸能部」も属しております。

「山あげ保存会芸能部」は、踊り方を西川扇士浪先生が、常磐津方を常磐津津紫摩先生が指導していらっしゃいます。

 

 

 

道路には奥行100mに及ぶ舞台が作られる

この奥行きのある立体感が山あげ祭の舞台を迫力あるものにしてくれます。

「日本一の野外劇」の名にふさわしい常磐津所作狂言の舞台が若衆さんたちによって、あっという間に作られます。

普段は何ら変わることのない街ナカの道路、そこが舞台に早変わりする点も山あげ祭の見どころの一つです。

管理人は子どもの頃から、一つの公演が終わるとすぐに次の公演場所に行き、なんの変哲もない道路に、屋台(御拝)と地車がやってきて、舞台があっという間に設営されていくところ観ていました。それを3日間何回も!飽きることのない若衆さんたちの活躍です。

明治期のお祭りの様子

大正期の山あげ祭の様子
明治期の山あげ祭の様子

演目は不明ですが、明治期の山あげ祭の様子です。

もしこの写真の演目、興行主についての情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、お問合せフォームよりご連絡ください。

まだまだ演目についての研究道半ばです。これからも情報収集してまいります。

夜の山あげ祭「将門」

那須烏山の真夏を彩る山あげ祭の「将門」滝夜叉姫登場シーンです。

大森茂宏氏の「先祖が残した烏山のお天王さん」(絶版)の記録を見ると大正12年鍛冶町当番の年に仲町が付祭で「将門」を上演したのが初演となっています。

「将門」は本名題を「忍夜恋曲者」、別名題を「忍夜考事寄」といい天保7年に江戸市村座で初演された常磐津所作狂言です。

それ以来、烏山の山あげ祭では「将門」が今日に至るまで上演され続けています。

「嵯峨や御室の花盛り浮気な蝶も色かせぐ」のクドキの部分の情景が山あげ祭の山とうまく調和しているからでしょうか。

池袋の古本屋で常磐津松尾太夫の「将門」を入手しましたので、下記から再生できるようにします。山あげ祭の「将門」とは節が違いますが、お楽しみください。

 

烏山文化未来塾の遺産

いまから10年前、烏山文化未来塾という団体が、山あげ祭の研究を行っていました。

いまでは解散していまったので当ホームページはコンテンツの一部を引き継がせていただいていますが、本当によく研究されていらっしゃって、山あげ祭を知るにはうってつけの素材も引き継いでおりますので、明日より、当サイトのブログにて写真を公開させていただきます。

烏山文化未来塾で山あげ祭を研究された深田様には、心より敬意を贈ります。